手書きか活字か!

小学校では、これが話題になることがある。特に通知表作成の頃だ。

現在ほとんどの教員がパソコンで所見(通信文)を下書きしている。しかし、実際の通知表は手書きに直す学校が多い。
近年、活字も認めらてきたが、これは現場があまりにも忙しいので仕方なくという感じである。小学校では、あくまでも手書きは活字より上位だと考える風潮がある。現在でも、重要な書類(指導要録や保健簿、出席簿など)ほど手書きで書かなければならないことが多い。

しかし、これは一般社会の常識と、ずれていると言わざるを得ない。
例えばマンションを買うとしよう。業者が作った契約書が手書きだったら普通はその業者を疑うだろう。
一般社会では、正式な書類ほど「活字」なのだ。

では、なぜ学校は「手書き」にこだわるのだろうか。理由は3つある。

  1. 新しいものへの恐怖。
  2. 仕事の負担が減ることはサボることであり、悪であるという風潮。
  3. 自意識過剰。

1は、変わることに対する恐怖である。パソコンを利用することで情報が流出するのではないかという恐怖もある。しかし、下書きはパソコンなのだから、この考えは、的外れだ。今の管理職の年代は、決してコンピュータに明るい人が多いわけではない。自分が分からないものは怖いというのが本音だ。
2は、小学校には根強く残っている。成果が見えにくいがゆえに、いかに苦労したかが重視されてしまうのだ。
3は、保護者が、担任自身に強い関心があるという錯覚である。保護者は、担任が苦労して、きれいに書いた所見の字を見て喜ぶというのだ。しかし、実際は、保護者は子供のこと(所見の中身)に関心があるのであって、担任自身に関心があるわけではない。これは、教員特有の過剰な自意識である。

保護者は、担任のことではなく、子供のことが知りたいのだ。
そして、子供のことを知らせるには、パソコンを活用した方がよい。手書きの情報は有効利用しにくいからだ。

その例を示そう。

多くの学校では、夏休みに入ってすぐに個人面談が行われる。
担任は通知表を作るために膨大なエネルギーを費やしており、個人面談の準備はほとんど行えないまま、面談に突入してしまう。
結果、保護者との面談は、その場勝負ということになる。おぼろげな担任の記憶と印象によって話が進み、雑談、子供によっては時間をもてあましてしまうこともあると聞く。
学級情報システム懇談資料しかし、子供の情報(成績、友達関係、活躍の記録、所見など)を包括的に管理できるソフトウェアを使えばそうはならない。
左のように子供の多面的な情報がまとめられており、その情報をもとに面談を行うからだ。ちなみにこの資料は、通知表を作成する過程で自動的できあがり、負担は一切無い。(というより能率的に通知表を作成するためのソフトなので、反対に負担は減る。)
保護者も子供のことがよく分かると好意的だ。
このようなことは、手書きではできない。

「開かれた学校」とは、子供の情報を適切に保護者に伝えることだが、コンピュータの活用がその助けとなる。
同時に、教員の負担を減らすことも可能だ。

素晴らしい部分がたくさんあるのに、つまらないことにこだわって、コンピュータの活用を否定的に捉えるのはもったいない。

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